最近エッセイ漫画を読んでいるコトリです。
汐街コナさんの『死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)』を読みました。
私が児童館職員になる前、大手企業に勤めていたときのことを思い出しました。
私は死ぬことはありませんでしたが、最後はカラダを壊して退職しました。
「その前になんとかすれば良かった」という判断はできなかったです。
その頃はブラックなんて概念はなかった。
こちらの記事に書いたとおり、新卒で流通大手企業の全国営業社員をしていました。
私が配属されたのは引っ越し部門で、お客さんの家に行き、荷物量を見ての見積もりと作業手配が仕事です。
それまで友達の家に行くくらいしかヨソのお宅に上がったことないのに、いきなりヨソのお宅参り。
相見積もりが当たり前で、パック料金を設定してなかった私の会社は他と比べて、どうしても割高になってしまうんですよね。
「同じ引っ越しなのに、なんでこんなに差が出るの?」なんて詰め寄られることなんてしょっちゅうです。
「高いなら他をどうぞ。」と言いたいところですが、大手企業の看板と、値段に見合ったサービスをして欲しいというお客さんが多く、成約も少なくなかったです。
一般のお客さんの他に、引越し費用は会社に請求という会社契約の方も大手だったので、かなりありました。
全部出してくれる会社もあれば、クルマの陸送やエアコン脱着などの付帯サービスは会社負担にならないところがありました。
で、多いのがそういった付帯サービスを見積額に隠すこと。
段ボールを余分に入れたり、いろいろするんですが、どうにもならないほどの額を隠せなんていうこともしょっちゅうでした。
「タンス増やせばいいだろ!」なんて言われても、付帯サービス代だけで10万超えてるだから無理なんてこともありました。
そのなかでも危険だったのが金融業の方の引っ越し。
段ボールハンガーでスーツ運ぶのでタンス見せてくださいと言ったら、そのへんで売っているようなものではなく、派手な裏地のピンストライプのスーツ。
「これはヤバい!この方とはトラブルは起こしたくない!」とビンビンに感じたので、引っ越し前日までにお客さんにしておいてもらうことなど、細かく書いて渡したんですが、当日作業員から「そんなの聞いてねぇ!」ってお客さんがブチ切れているという電話が。
こちらにはお客さんに渡した控えがあるので知らないわけではないのですが、納得できないから事務所まで来い!と凄まれました。
なんとか上司や、相手の会社が収めてくれたんですが、他にもコワい体験はかなりあります。
辞めるという判断。
「死ぬくらいなら会社辞めれば」。
これは健全な人なら当たり前のことですが、追い詰められた状況では「辞める」という選択肢が目の前にあってもわからないんです。
コワい体験が直接的な原因ではなかったんですが、サービス残業は80時間はザラでした。
ただ営業で外回りしている人間だけが仕事が終わらず残っているんです。
新卒で入った私の次に若手なのが、1月に異動してきた主任の先輩で30歳を越えていました。
その年齢までこの状況を続けなくてはいけないと考えた辺りから、カラダはおかしくなり、ベッドから起き上がれず、腕が震えるといった症状が出てアウト。
結果的にカラダがSTOPを出したんですけど、心がSTOPを出していたなら、どうなっていたかわかりません。
周りが気づいて、力づくでも止めてください。
「死ぬくらいなら会社辞めれば」は健全な周りの人だから言えることです。
本人にはわかりません。
「もうヤバイ」と周りに感じる人がいたら、「大丈夫?」なんていう言葉をかけるよりも無理矢理にでも休ませるなり、引き剥がすなりしてください。
自分を見失っている状態だから、決めることが出来ないか、「なくなる」という選択肢しか見えてません。
命あっての物種。
大人だろうと死ぬほど弱ることがあります。
助けただけでなく、その人が無事生きていられるまで支えてあげてください。
私は家族に支えられ、今を生きていることができているので。